『祈りの結びの言葉 国と力と栄えとは・・・』 2009年5月31日(日)
信仰生活が長くなると、無意識のうちにも主の祈りを祈れるようになります。祈ったことさえ忘れてしまうほどです。しかし、祈り慣れることには、特有の危険があります。主の祈りの結びの言葉の意味を再確認したいと思います。新たな思いを込めて祈り始めましょう。
1、それは、祈りへの励ましです。
ウエストミンスター小教理問答によれば、主の祈りの結びが教えている第一のことは、「祈祷における励ましを神だけから受けるということ」です。(問107)
重要な祈りであればあるほど、失望せずに祈り続けなければなりません。そして、執拗に祈り続けるためには強力な励ましが必要です。祈り続ける人は、様々な不信仰と戦わなければならないからです。もし、私たちの祈りが、目の前の現実に目を注ぐことで閉じられるなら、失望やあせりから逃れられないでしょう。すぐに結果が得られないことの方が多いのです。それゆえ、多くの重要な祈りは、望みえないときに望みを抱くようにして、神を信じながら祈り続けられなければなりません。
そのような祈りにおいて、主の祈りの結びが教えるように、ただ神に心を向けて祈りを閉じることができたなら、幸いです。そのようにしてあらゆる不信仰を私たちの内から締め出すのです。そうすれば、人知では計り知れない平安によって、私たちの心と思いは守られるでしょう。そして、また祈り続けることができます。祈り続けることができるなら、目に見える結果が得られなくても、確信は増し加えられます。信仰によって祈った人々は、そのようにして祈りながら、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認するようにして、信仰の旅路を歩み抜いていきました。祈りの結びにおいて、すべてのすべてでありたもう神に目を向けましょう。
「国と力と栄えとは、限りなくなんじのものなればなり。」
2、それは、讃美です。
この祈りの結びが教えている第二のことは、
「祈祷において、神に国と力と栄光を帰して神を賛美することです。」(ウエストミンスター小教理問答・問107)
異邦人のようなくどくどとした祈りは、自分の願いをかなえることへと向かっています。祈れば祈るほどに自分の思いに神を従わせるかのような祈りになることでしょう。しかし、私たちの祈りがそのようなものであってはなりません。祈れば祈るほどに神を賛美して、自分自身を神に委ねるものであったなら、幸いです。
そして、平穏で落ち着いた生活を送りつつ、忍耐強く祈り続けましょう。