「ハレルヤ。わたしの魂よ、主を賛美せよ。」

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「ハレルヤ。わたしの魂よ、主を賛美せよ。」

「ハレルヤ。わたしの魂よ、主を賛美せよ。」 (詩編146編)

「ハレルヤ。わたしの魂よ、主を賛美せよ。命のある限り、
わたしは主を賛美し、長らえる限り、わたしの神にほめ歌をうたおう。」(1、2節)


 この信仰者はとにかく主を賛美します。

「わたしの魂よ、主を賛美せよ。」(1節)

どんなことがあっても主を賛美しようと、強く心を決めているのです。

「命のある限り、わたしは主を賛美し、長らえる限り、わたしの神にほめ歌をうたおう。」(2節)

「君侯に依り頼んではならない。人間に救う力はない。」(3節)


 その人間がどんなに大きな力を持っている指導者であっても、「依り頼んではならない」と教えています。確かに、主が人を通して助けを与えてくださることもあるでしょう。しかし、求められているのは、主なる神のみに依り頼むことです。人がどんなに頼りになるように見えても、必ず限界があります。

「霊が人間を去れば、人間は自分の属する土に帰り、その日、彼の思いは滅びる。」(4節)

「人間に救う力はない。」(3節)

「いかに幸いなことか、ヤコブの神を助けと頼み、
主なるその神を待ち望む人、
天地を造り、海とその中にあるすべてのものを造られた神を。」(5、6節)


 聖書は、神を待ち望む人々の幸いを宣言します。
これは、養い強められた信仰によってだけ納得される幸福観です。(ヘブライ11:1)そのためには、乳飲み子ががぶがぶとミルクを飲むように御言葉を求めなければなりません。

「生まれたばかりの乳飲み子のように、混じり気のない霊の乳を慕い求めなさい。
これを飲んで救われるようになるためです。」(第一ペトロ2:1)

ミルクを飲んでいるうちに、乳飲み子も固いものを食べ始めるでしょう。そして、固い現実をかみ砕き始めるときも来るでしょう。

「いかに幸いなことか。ヤコブの神を助けと頼み、主なるその神を待ち望む人」(5節)