『ウエストミンスター小教理問答 問101』 2012年6月10日
問101 第一の祈願では、私たちは何を祈り求めるのですか。
答 「願わくは、御名をあがめさせたまえ」という第一の祈願で私たちが祈る事は、神が御自分を知らせるのに用いられるすべての事において、神が私たちと他の人々に神の栄光をあらわす力を授けてくださるように、また、神が万事を御自身の栄光のために配剤してくださるように、ということです。
「神が私たちと他の人々に神の栄光をあらわす力を授けてくださるように」
まず第一に「御名をあがめさせたまえ」と祈らなければならないのは、自分自身も含めてすべての人々が正しく神の御名をあがめないからです。残念ながら、その点において、わたしたちはあまりにも無気力であり、無知です。
「正しい者はいない。一人もいない。悟る者もなく、神を探し求める者もいない。皆迷い、だれもかれも役に立たない者となった。」(ローマ3:10-12)
神が、そのような私たちに、神を正しくあがめる力と思いを授けてくださるように祈り求めます。
「神がわたしたちを憐れみ、祝福し、御顔の輝きをわたしたちに向けてくださいますように。あなたの道をこの地が知り、御救いをすべての民が知るために。」(詩編67:2-3)
「神が万事を御自身の栄光のために配剤してくださるように」
この世は、神を正しく知ろうとしません。それだけではなく、神のご栄光に反抗するような事柄に満たされています。それにもかかわらず、わたしたちも無力です。それゆえ、祈ります。そして、祈り続ける限りは、無力のままでは終わりません。
この第一の祈願によって、神が、すべての事を御自身の栄光にふさわしく導き、処理してくださるように求めています。そして、この祈りはすでに成就しています。
「神は、この力をキリストに働かせて、キリストを死者の中から復活させ、天において御自分の右の座に着かせ、すべての支配、権威、勢力、主権の上に置き、今の世ばかりでなく、来るべき世にも唱えられるあらゆる名の上に置かれました。教会はキリストの体であり、すべてにおいてすべてを満たしている方の満ちておられる場です。」(エフェソ1:20-23)
世には知られなくても、主の御名によって祈り続ける教会にとって、そのことはすでに明らかです。そして、やがてすべての人々に明らかになります。
「すべての舌が、『イエス・キリストは主である』と公に宣べて、父である神をたたえるのです。」(フィリピ2:11)