『ウエストミンスター小教理問答 問103』 2012年7月1日
問103 第四の祈願(きがん)では、私たちは何を祈り求めるのですか。
答 「我らの日用(にちよう)の糧(かて)を今日(きょう)も与えたまえ」という第四の祈願(きがん)で私たちが祈る事は、神の一方的(いっぽうてき)な賜物(たまもの)のうちから、私たちがこの世(よ)の良(よ)き物(もの)の正当(せいとう)な分を受け、それによって神の祝福を楽しむことができるように、ということです。
「我らの日用(にちよう)の糧(かて)を今日(きょう)も与えたまえ」
この祈願を祈ることによって、神の祝福に満足することを学びたいと思います。
「わたしは、自分の置かれた境遇に満足することを習い覚えたのです。貧しく暮らすすべも、豊かに暮らすすべも知っています。満腹していても、空腹であっても、物が有り余っていても不足していても、いついかなる場合にも対処する秘訣を授かっています。わたしを強めてくださる方のお陰で、わたしにはすべてが可能です。」(フィリピ4:11-13)
「この世の良き物の正当な分を受け」
「むなしいもの、偽りの言葉をわたしから遠ざけてください。貧しくもせず、金持ちにもせず、わたしのために定められたパンでわたしを養ってください。飽き足りれば、裏切り、主など何者か、と言うおそれがあります。貧しければ、盗みを働き、わたしの神の御名を汚しかねません。」(箴言30:8-9)
「それによって神の祝福を楽しむことができるように」
「神がお造りになったものはすべて良いものであり、感謝して受けるならば、何一つ捨てるものはないからです。神の言葉と祈りとによって聖なるものとされるのです。」(第一テモテ4:4-5)