主の復活(1)「何が問題か」 ルカ24:13-35
*イースター記念礼拝を前にして、主イエスの復活について、数回にわたって黙想し続けたいと思います。ご一緒に、もっともたいせつなこととして伝えられていること、主の復活についてお考えください。
「ああ、物分かりが悪く、心が鈍く預言者たちの言ったことすべてを信じられない者たち、メシアはこういう苦しみを受けて、栄光に入るはずだったのではないか。」(ルカ24:25-26)
主イエスの復活も、それに続く死人の復活も、死人が復活する可能性があるかないかが問題ではありません。神をどのように信じるかの問題です。弟子たちでさえ、どこまでも信じることができませんでした。なぜでしょうか。「物分かりが悪く、心が鈍く預言者たちの言ったことすべてを信じられない」からです。どんなに聖書が語り、主イエスが明瞭に説き明かしても、それを受け取る信仰がなかったのです。その信仰は賜物です。
「神はある。」
この一事にすべてがかかっています。
まったくの無から天地万物を造られた神はおられるのか。死んだも同様の一人の人から、空の星のように多くの子孫を生み出された神はおられるのか。エジプトとバビロンから、主の民を救い出された神はおられるのか。聖書が啓示するとおりの神が確かに生きておられると信じるなら、その御言葉どおりに信じることに何の不合理もありません。
主は、人の思いや考えを超えて、御言葉どおりにすべてのことを成し遂げたもうのです。主イエスはすべてを罪からあがなうために十字架の苦しみをもって死に、復活されました。