主の復活(2)「見ないのに信じる者の幸い」 ヨハネ20:24-29
「わたしを見たから信じたのか。見ないのに信じる者は、幸いである。」 (ヨハネ20:29)
弟子たちは、主の復活をかたくなに信じませんでした。
主の復活に期待をかけることもなく、ユダヤ人たちを恐れて閉じこもっていました。また、主の復活を伝える婦人たちの話を「たわ言」のように思いました。使徒の一人であるトマスは、その目でキリストの傷口を見て、調べてみなければ、「信じない」とさえ言いました。
彼らこそ、主イエスが「永遠の命の言葉を持っておられる」と信じて、その十字架の死の直前まで従って来た者たちです。実際、自分たちの死さえも覚悟して従って来たのです。それなのに、なぜ、主の復活を信じがたいこととするのでしょうか。
弟子たちもまた、「よこしまで神に背いた時代の子ら」でした。他の人々と同様に、その目は見えるものへと向かっていました。見えないものにその目が注がれるには、聖霊を待つしかありませんでした。
そして、聖霊が降った時、彼らは大胆に主の復活を証言し始めました。
そして、すべての希望がキリストにおいて成就したと証しし始めました。
「見ないのに信じる者の幸い」を大胆に証し始めたのです。