主の復活(5)「人の誇りを取り除かれて」
「ファリサイ派とサドカイ派との間に論争が生じ、最高法院は分裂した。サドカイ派は復活も天使もないと言い、ファリサイ派はこのいずれをも認めているからである。」 (使徒23:7-8)
死者の復活を否定するサドカイ派に対して、主イエスは、「聖書も神の力も知らないから、思い違いをしている」と言われました。その一方でファリサイ派は死者の復活を熱烈に信じていました。
しかし、ファリサイ派の信仰が、主イエスから賞賛されることはありませんでした。彼らについて、主イエスはこう言われました。「ファリサイ派とサドカイ派の人々のパン種によく注意しなさい。」ファリサイ派は、死者の復活を信じて人間の誇りをたくましくし、サドカイ派はそれを否定しながら人間の誇りをたくましくしていたからです。
使徒パウロは、かつて熱心なファリサイ派でした。
しかし、悔い改めて福音を信じた彼は、こう叫びます。
「わたしはなんと惨めな人間なのでしょう。死に定められたこの体から、だれがわたしを救ってくれるでしょうか。」(ローマ7:24)
ファリサイ派のパン種は取り除かれ、ただ神を信じる信仰あるのみです。信仰の法則によって、人の誇りは取り除かれたからです。(ローマ3:27)人間の誇りをたくましくしたままの復活など考えられません。死者の復活は、ただ神の恵みの御業です。
「キリストは、万物を支配下に置くことさえできる力によって、わたしたちの卑しい体を、御自分の栄光ある体と同じ形に変えてくださるのです。」(フィリピ3:21)