主の復活(7)「死は勝利にのみ込まれた」
「死は勝利にのみ込まれた。死よ、お前の勝利はどこにあるのか。」(コリント第一15:54-55)
私たちの信仰は、死に勝利する信仰です。私たちは今、自分の信仰を試されながら信仰によって神と共に生きています。しかし、死の後にはもはや信仰は必要ではありません。顔と顔を合わるような親しい交わりをもって、神と共に生きるようになります。
「わたしたちは、今は、鏡におぼろに映ったものを見ている。
だがそのときには、顔と顔とを合わせて見ることになる。
わたしは、今は一部しか知らなくとも、そのときには、はっきり知られているようにはっきり知ることになる。」(コリント第一13:12)
また、今は様々な罪と弱さに悩みながら、人と共に生きています。しかし、死の後、私たちはキリストに似た者として互いに出会います。確かに「今とは異なる状態に変えられます」が、自分であることをやめるわけではありません。「この死ぬべきものが死なないものを着る」のです。(コリント第一15:51-53)そして、御子に似た者に変えられます。
「愛する者たち、わたしたちは、・・・御子が現れるとき、御子に似た者となるということを知っています。なぜなら、そのとき御子をありのままに見るからです。」(ヨハネ第一3:2)
その日、私たちはお互いの交わりの中に、キリストと交わる自由と喜びを完全に覚えるでしょう。キリストの愛がその交わりを永遠に満たします。
「死よ、お前の勝利はどこにあるのか。死よ、お前のとげはどこにあるのか。」(コリント第一15:55)