「敵を愛するとは、どういう意味?」 ジョージ・ヤング宣教師 2013年6月16日
(札幌伝道所設立20周年記念礼拝説教から抜粋要約・2006年6月25日)
「敵を愛しなさい。・・・あなたがたの天の父の子となるためである。」(マタイ5:44-45)
イエス様は、このことを教えるために特別な憎しみの物語を語りません。たとえば、戦争で憎み合うようになった人々のことを語りません。むしろ、ごく日常の生活で出会う人々のことを語ります。相手に何らかの恨みを抱いているのでしょう。道で出会っても挨拶せず、相手の存在を認めることもなく、無視する人々のことを語ります。
聖書が特別な物語を指し示さずに、小さなことを取り上げて、「敵を愛する」ことを語るのは、私たちの心の中の罪を見るためです。
「わたしは、神と自分の隣人とを憎む方へと生まれつき心が傾いている・・・」(ハイデルベルク信仰問答・問4)
私たちは、神様を呼び求めて、こう祈ります。
「私は、自分に良くしてくれる人々さえ愛することができません。
自分の敵を愛することは、どれほど難しいことでしょうか。
とてもできません。
私は利己的です。
罪人の私を憐れんでください。
イエス・キリストの償いによって、私をゆるしてください。
十字架の上で、イエス様がご自分の敵を愛されたのを見ています。
しかし、私にはそんな力はありません。
この憎しみに満ちた心の代わりに、新しい心を与えてください。
聖霊よ、私のもとに来てください。
そして、敵さえも愛することができるようにしてください。」