『ウエストミンスター小教理問答 第36問』 2013年8月18日
問36 この世で、義認、子とされること、聖化に伴い、あるいはそれらから流れ出る祝福とは、何ですか。
答 この世で、義認、子とされること、聖化に伴い、あるいはそれらから流れ出る祝福とは、神の愛の確信、良心の平和、聖霊における喜び、恵みの増加、終わりまで恵みのうちに堅忍することです。
それらから流れ出る祝福
守るべきものを守り、とどまるべきところにとどまってこそ、神の祝福が流れ出て来ます。すでに見てきた義認、子とされること、聖化から、どのような祝福が流れ出て来るのでしょうか。私たちがこの福音において何を喜び、感謝するのかが、この問いにおいてさらに具体的に教えられています。
神の愛の確信
キリストへの信仰によって義と認められ、子とされ、聖化の恵みにあずかっている人々は、苦難の中でも神の愛を確信します。神の愛がその人の心に注がれ続けるからです。
「わたしたちは・・・神の栄光にあずかる希望を誇りにしています。
・・・希望はわたしたちを欺くことがありません。
わたしたちに与えられた聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれているからです。」(ローマ5:1、5)
どんなことがあったとしても、神の愛を疑う必要はまったくなくなりました。
「わたしは確信しています。
死も、命も、天使も、支配するものも、現在のものも、未来のものも、力あるものも、高い所にいるものも、低い所にいるものも、他のどんな被造物も、わたしたちの主キリスト・イエスによって示された神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないのです。」(ローマ8:38-39)
終わりまで恵みのうちに堅忍すること
また、私たちの不確かさや弱さにもかかわらず、あくまでも忍耐します。私たち自身の確かさによるのではなく、キリストのゆえです。キリストは、はっきりと約束されました。
「彼らは決して滅びず、だれも彼らをわたしの手から奪うことはできない。」(ヨハネ10:28)
確かにいろいろな試練に悩み、自分の頼りなさを味わいます。しかし、自分の力を過信しているときよりも、むしろ弱さを知ったときにこそ、恵みによって強く歩み始めるのです
「あなたがたは、終わりの時に現されるように準備されている救いを受けるために、神の力により、信仰によって守られています。」(第一ペトロ1:5)