『ウエストミンスター小教理問答 第37問 (2)』

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『ウエストミンスター小教理問答 第37問 (2)』

『ウエストミンスター小教理問答 第37問 (2)』 2013年8月18日

問37 信者は、死の時、キリストからどんな祝福を受けますか。

答  信者の霊魂は、死の時、まったくきよくされ、直ちに栄光に入ります。信者の体は、依然としてキリストに結びつけられたまま、復活まで墓の中で休みます。


 たとえ、朽ち果てても

 確かに、人の体は朽ち果てます。それは、聖書も明瞭に教えるとおりです。

「塵にすぎないお前は塵に返る。」(創世記3:19)

「ダビデは、彼の時代に神の計画に仕えた後、眠りについて、祖先の列に加えられ、朽ち果てました。」(使徒13:36)

 しかし、それは聖書が教える真理のほんの一部分にすぎません。しかも、聖書によらなくても確認できる事実です。信仰によって生きる人々にとって大切なのは、信仰によらなければ見えないものに目を注ぐことです。神がおられるなら、塵にすぎない私たちが塵に返ったとしても、それが私たちの体の最後の姿ではありません。神を信じる人々にとって、まだ先があります。

「もし、イエスを死者の中から復活させた方の霊が、あなたがたの内に宿っているなら、キリストを死者の中から復活させた方は、あなたがたの内に宿っているその霊によって、あなたがたの死ぬはずの体をも生かしてくださるでしょう。」(ローマ8:11)


 私たちの体は、神の御前にある


 土葬であれ火葬であれ、死後の体の状態がどのようなものであれ、神の御前に私たちの体があることに変わりはありません。神は創造主です。土の塵から人を形づくり、人を生きる者となさった御方です。その御方にとって、私たちの体が塵となってしまったとしても、その御前から私たちの体が消え去ってしまったわけではありません。

「キリストは、万物を支配下に置くことさえできる力によって、わたしたちの卑しい体を、御自分の栄光ある体と同じ形に変えてくださるのです。」(フィリピ3:21)

 キリストと結ばれた体は、神の御前から決して捨て去られることはありません。塵に返って朽ち果ててしまったとしても、私たちの体には未来があるのです。