『協議することの大切さ』 2014年1月19日
会員総会を前にして、教会が協議することの大切さについて再確認いたします。信仰に基づく協議ができる教会として成長させていただけるよう祈ります。
1.主の御心はある
主の御心は具体的にあります。そして、示されます。調べるべきことがあれば調べ、話し合うべき事があれば話し合い、実践すべきことがあれば実践して検討しつつ、主の御心を求めていきます。礼拝がそのすべての営みの土台です。(ローマ12:1-2)
2.教会の形態にふさわしく
監督制の教会ならば、牧師が最終的に決定します。牧師が間違いのない判断をくだすならば、それで問題はありません。会衆制ならば、多数の意見が決定を導きます。会衆全体の信仰的判断が成熟しているならば、これもまた問題はありません。しかし、長老制の場合は、牧師の決定に任せません。また、会衆の多数決にも導かれません。その理想を言うならば、その立場にも多数にも左右されず、会議を(段階的に)積み重ねて、主の御言葉に基づいた判断に近づこうと努力します。それが重要な決断であればあるほど、主の御心を確信して、教会全体が一致することを求めます。
3.求められている協議
求められている協議は、主の御心に近づくための協議です。素朴な疑問や反対意見が、思いがけない有効な展開をもたらすこともあるかもしれません。主の御心を求める時、必ずしも「沈黙は金」ではありません。
「相談しなければ、どんな計画も挫折する。参議(協議に責任をもって参加する人々)が多ければ、実現する。」(箴言15:22)
議論を積み重ねて、意志の統一を計らずには、何事も力強く実行に踏み出すことはできません。
「計画は助言を得て立てよ。戦いは指揮力を整えて始めよ。」(箴言20:18)