【今年度の教会目標】 『祈りを豊かにする』14 2014年7月27日
「義とされて家に帰ったのは、・・・あのファリサイ派の人ではない。」
(ルカ18:14)
祈りの障害は、高慢です。「自分は正しい人間だとうぬぼれて、他人を見下している人々」にとって、祈りは役に立ちません。
その祈りが、神に届いていないからです。
人の耳には、祈りらしい祈りと聞こえるかもしれません。
しかし、それを聞いているのは、自分の耳と他人の耳だけです。
何としても神に届く祈りをささげようとするとき、私たちは、主の次のような勧めを聞かざるをえません。
「わたしは愛する者を皆、叱ったり、鍛えたりする。だから、熱心に努めよ。悔い改めよ。」(黙示録3:19)
主の霊が、私たちをさらに豊かな御言葉の光の中に導き、
日々、神をますます豊かに知る喜びへと至る悔い改めをお与えくださいますように。