【今年度の教会目標】 『祈りを豊かにする』32 2014年11月30日
「主をわたしは避けどころとしている。」
(詩編11:1)
主を避けどころとするなら、臆病な思いは心から締め出されます。
主を避けどころとする人の心と考えは、「あらゆる人知を超える神の平和によって守られる」からです。
(フィリピ4:7)
この心と考えなくしては、神の国を受け継ぐことはできません。
「おくびょうな者・・・に対する報いは、火と硫黄の燃える池である。それが第二の死である。」
(黙示録21:8)
神を知らないときだったなら、結構なことのように思われる逃げ道もあるでしょう。
しかし、「主を避けどころとしている」人にとって、主以外の逃げ道はむなしく愚かしいものにほかなりません。
「どうしてあなたたちはわたしの魂に言うのか。」
(詩編11:1)
「そんなことは言わないでくれ」と頼んでいるのではありません。
「どうしてそんなことが言えるのか」と突き返しているのです。
「鳥のように山へ逃れる」ことに憧れてなどいません。
あらゆる場面で、主を避けどころとすることを学んで参りましょう。
主以外のところへ逃げ道を探す人は「心が定まらず(心が二つに分かれており)、生き方全体に安定を欠く人」です。
(ヤコブ1:8)