【今年度の教会目標】 『祈る教会』5 2015 年3月1 日
「義のために迫害される人々は幸いである。」
(マタイ5:10)
「幸いである」とは、持つべきものを持ち、
立つべきところに立っているから、「幸いである」との意味です。
すなわち、神の祝福を受けるにふさわしい信仰を持ち、
神の祝福を受けるにふさわしい所にとどまり続けているから、幸いです。
「義のために迫害される人々」とは、
ただ信仰による義に生きることで、やむをえず迫害される人々です。
すなわち、
「イエスは、わたしたちの罪のために死に渡され、
わたしたちが義とされるために復活させられた」
(ローマ4:25)
と信じて、誰も引き離すことのできない神との交わりの中に生きているから、
その交わりを傷つけ、捨てるように追及されます。
神との交わりがなければ、迫害もありません。
自分の罪や愚かさが招くものは、ここで言う迫害ではありません。
大切なのは、神の祝福を受けるにふさわしい信仰をもって、
神との交わりの中にとどまり続けることです。
そのような人々は、何があろうと「幸いである」。
その意味で、今日、ほんとうに神の御言葉を聞き、神に祈ることのできる人々は幸いです。