【今年度の教会目標】 『祈る教会』10 2015 年4月5 日
「息子は言った。
『お父さん、わたしは天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。
もう息子と呼ばれる資格はありません。』
しかし、父親は僕たちに言った。
『急いでいちばん良い服を持って来て、この子に着せ、手に指輪をはめてやり、足に履物を履かせなさい。』」
(ルカ15:21~22)
息子の立派な(?)反省の言葉を聞く前に、
「父親は息子を見つけて、
憐れに思い、走り寄って首を抱き、接吻」
しました。
(ルカ15:20)
父が求めていたのは、家に帰って来て、そこにとどまることでした。
なぜなら、それこそ決定的に重要なことだったからです。
「この息子は、死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったからだ。」
(ルカ15:24)
自分を迎える父の喜びを知った後、今さら「雇い人の一人にしてください」などとは言わなかったにちがいありません。
むしろ、子として多くのことを父から学びつつ、父と語り合ったことでしょう。
父の家に帰ること、そして、そこにとどまり続けること。
日ごとの悔い改めが続きます。
喜びと感謝をもって。