【今年度の教会目標】 『祈る教会』30 2015 年8月23日
「主はわたしの羊飼い、わたしには何も欠けることがない」
(詩編23:1)
羊は、羊飼いの姿を見て従うのではありません。
羊飼いの声を聞いて従います。
しかも、その声を聞き分けます。
そして、ただ自分の名を呼んで連れ出してくださる御方にだけ従って行きます。
「羊はその(羊飼いの)声を聞き分ける。
羊飼いは自分の羊の名を呼んで連れ出す。
自分の羊をすべて連れ出すと、先頭に立って行く。
羊はその声を知っているので、ついて行く。
しかし、ほかの者には決してついて行かず、逃げ去る。
ほかの者たちの声を知らないからである。」
(ヨハネ10:3-5)
このひとつのことに羊の命と安全がかかっています。
羊の喜びは、羊飼いの声に聞き従って、良き経験を積み重ねるのに従って増し加わっていくことでしょう。
「主はわたしを青草の原に休ませ、憩いの水のほとりに伴い、魂を生き返らせてくださる。」
(23:2、3)
羊飼いの声を聞いただけで、喜ぶ羊もいるかもしれません。
「死の陰の谷を行くときも、わたしは災いを恐れない。」
(23:4)
そのように羊飼いの声に従いながら喜ぶ羊にとって、何よりも恐ろしいのは羊飼いの声が聞こえなくなることでしょう。
反対に、羊飼いの声さえ聞こえれば、恐れも不安も、その心に残り続けることはありません。
このような喜びや安心は現実離れしたもののようですが、良き羊飼いを知る羊にとっては、
これこそ自分を失うことなく、自分の現実を生きることです。
「主はわたしの羊飼い、わたしには何も欠けることがない」