【今年度の教会目標】 『祈る教会』33 2015 年9月6日
「死の陰の谷を行くときも、わたしは災いを恐れない。」
(詩編23:4)
「死の陰」は、死そのものではありません。
陰は陰です。光が来れば、陰は消え去ります。
陰の暗闇は確かに恐ろしいものです。
「死の陰」というほどの深い闇に覆われたなら、不安にもなります。
しかし、死の陰に人を傷つけたり、人を殺したりする力はありません。
光はすでに来ました。
その光を信じた人々は、死の陰を恐れず、ほんとうに恐れるべき御方を知りつつあります。
「行くときも」とあります。死の陰に覆われても、ずっとそこにとどまり続けるわけではありません。
羊飼いの声に導かれる者たちにとって、死の陰の谷は通り過ぎるべきものです。
「行く」とは、歩くということです。慌てたり、あせったりして、走り出したりしません。
歩き続けます。
そして、通過します。
「主がわたしと共にいてくださる」から、以上のすべての事が起きます。
光である主が共におられるので、陰の正体が明らかになります。
羊飼いである主によって導かれるので、死の陰の谷で立ち往生したり、疲れ果ててしまうことなく歩き続けます。
そして、わたしと共にいてくださる御方をますます知って、喜びます。
「いろいろな試練に出会うときは、この上ない喜びと思いなさい。
・・・ あなたがたの中で知恵の欠けている人がいれば、
だれにでも惜しみなくとがめだてしないでお与えになる神に願いなさい。
そうすれば、与えられます。」
(ヤコブ1:2、5)