【今年度の教会目標】 『祈る教会』35 2015 年9月27日
「ほかの人々のように眠っていないで、目を覚まし、身を慎んでいましょう。」
(第一テサロニケ5:6)
目を覚ましていなければならないのは、「主の日」が来るからです。
「主の日」とは、主イエスが天に昇って行かれたのと同じ有様で、またおいでになる日です。
(使徒1:11)
その日には、主の約束がことごとく実現されます。
一言でいえば、その日には主の救いと裁きが完全に実現されます。
目を覚まして主の救いを生きている人々は、その日を待ち望んでいます。
「義の宿る新しい天と新しい地とを、神の約束に従って待ち望んでいるのです。」
(第二ペトロ1:13)
目を覚ましてその日を待ち望む人々は、「無事だ。安全だ」と言って、
再び来たりたもう主を恐れることもなしに、自分勝手に安心したりはしません。
(第一テサロニケ5:3)
しかし同時に、希望を持たない者のように、起きてくることの数々を見て、恐れ続けることもしません。
「神は、わたしたちを怒りに定められたのではなく、
わたしたちの主イエス・キリストによる救いにあずかるように定められたのです。
主は、わたしたちのために死なれましたが、
それは、わたしたちが、目覚めていても眠っていても、 主と共に生きるようになるためです。」
(第一テサロニケ5:9~10)
主の救いを生きる人々は、今の世がすべてではないと知らなければなりません。
目を覚まして、神の約束に従ってその日を待ち望むことを学んで参りましょう。
そして、
「ほかの人々のように眠っていないで、目を覚まし、身を慎んでいましょう。」
(第一テサロニケ5:6)
「目を覚まして感謝を込め、ひたすら祈り続けなさい。」
(コロサイ4:2)