【今年度の教会目標】 『祈る教会』49 2016 年1月17日
「わたしについて来たい者は、自分を捨て、
自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。」
(マタイ16:24)
「わたしについて来たい者」に、キリストが求めた第一のことは、「自分を捨てる」ということでした。
キリストについて行く人々の日々は、大小さまざまな自己否定に満ちています。
実際、主イエスから「サタン」呼ばわりされたペトロは、
自分を捨てずに彼について行くことはできなかったでしょう。
その御言葉は容赦のないものでした。
「サタン、引き下がれ。あなたはわたしの邪魔をする者、
神のことを思わず、人間のことを思っている。」
(マタイ16:23)
ペトロが、この言葉の意味を理解して納得したとは思われません。
しかし、「なぜですか」と問うことさえなく、キリストに従い続けました。
その理由は二つあるように思います。
一つは、この御方について行きたかったからです。
天の父から与えられた信仰は、こんなことで消えてしまうようなものではありませんでした。
もう一つは、主イエスの明瞭な御言葉を恐れ敬いつつ、自分の思いと考えを捨てました。
使徒パウロが、後に教えたことと同じです。
「本当に知恵のある者となるために愚かな者となりなさい。」
(第一コリント3:18)
自分を惜しみなく捨てるほどにキリストを知る人は、どれほどキリストを知る人でしょうか。
ペトロは、いやいやではなく自ら進んで「自分を捨てて」キリストについて行きました。