【今年度の教会目標】 『祈る教会』53 2016 年2月14日
「なぜ国々は言うのか『彼らの神はどこにいる』と。
わたしたちの神は天にいまし、御旨のままにすべてを行われる。」
(詩編115:2~3)
神と共に歩むことを知らない人々がこのように言うのは当然のことです。
しかし、信仰によって歩む人々が、神を正しく知らない人々の言葉に動かされ続けるのはおかしなことです。
人々が何と言おうと、神のご存在がいささかも揺らぐわけではありません。
「わたしたちの神は天にいます。」
天とは、神の玉座があるところです。
そこでは、神のご支配が明らかに示されます。黙示録は天上の礼拝の姿を示します。
「わたしが見ていると、見よ、開かれた門が天にあった。
そして、ラッパが響くようにわたしに語りかけるのが聞こえた、
あの最初の声が言った。
『ここへ上って来い。この後必ず起こることをあなたに示そう。』
わたしは、たちまち“霊”に満たされた。
すると、見よ、天に玉座が設けられていて、その玉座の上に座っている方がおられた。」
(黙示録4:1~2)
ヨハネは主の霊に満たされて、そこへ上って行きました。
「神が御旨のままにすべてを行われる」ことは、天上の礼拝においては明瞭です。
しかし、地上では曖昧です。
神の御旨を求めて喜んだり感謝したり待ち望んだりするよりも、自分の思いや考えをめぐって悩みは尽きません。
しかし、たとえそうだとしても、神を畏れてキリストに従う人々は、知り続けます。
「わたしたちの神は天にいまし、御旨のままにすべてを行われる。」