【今年度の教会目標】 『祈る教会』58 (3月10日 夕祈祷会から)
「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。
休ませてあげよう。」
(マタイ11:28)
人に代わってもらいたくても、自分で負うしかない重荷があります。
キリストは、そのような重荷を負って疲れた人々を、休むように導いてくださいます。
「『何を食べようか』
『何を飲もうか』
『何を着ようか』
と言って、思い悩むな。
・・・あなたがたの天の父は、これらのものがみなあなたがたに必要なことをご存じである。」
(マタイ6:31~32)
自分のすべきこと、自分にできることだけをして、魂に安らぎを得ます。
「明日のことは明日自らが思い悩む。
その日の苦労は、その日だけで十分である。」
(マタイ6:34)
また、神のみを恐れて人々を恐れずに、心を休めます。
「人々を恐れてはならない。
・・・体は殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな。
むしろ、魂も体も地獄で滅ぼすことのできる方を恐れなさい。」
(マタイ10:26、28)
さらに、神のご配慮にすべてをお任せして、休みます。
「二羽の雀が一アサリオンで売られているではないか。
だが、その一羽さえ、あなたがたの父のお許しがなければ、地に落ちることはない。
あなたがたの髪の毛までも一本残らず数えられている。
だから、恐れるな。
あなたがたは、たくさんの雀よりもはるかにまさっている。」
(マタイ10:29~31)
キリストのもとに来る人々の歩みは、休むことから始まります。
「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。
休ませてあげよう。」