【今年度の教会目標】 『祈る教会』69 (6月1日 夕の祈祷会から)
「わたしの胸が思い煩いに占められたとき、
あなたの慰めがわたしの魂の楽しみとなりました」
(詩編94:19)
主の力によって生きる人の言葉です。
彼は、誰からも助けてもらえませんでした。
「災いをもたらす者に対して、わたしのために立ち向かい、
悪を行う者に対して、わたしに代わって立つ人があるでしょうか。」
(16節)
しかし、主の助けが与えられたので、魂が沈み込んだままではありませんでした。
「主がわたしの助けとなってくださらなければ、わたしの魂は沈黙の中に伏していたでしょう。」
(17節)
また、主の慈しみによって支えられたので、
とてもゆっくりとした歩みであったかもしれませんが、歩み続けました。
「『足がよろめく』とわたしが言ったとき、
主よ、あなたの慈しみが支えてくれました。」
(18節)
彼を苦しめている状況はそのままであったように見えます。
しかし、主の助けが立ち上がらせ、歩み続けさせます。
彼を苦しめる現実が確かな苦しみである以上に、彼に与えられる助けは現実的なものです。
ただ、それが霊的な助けから始まるという点で、世が与える助けと違っています。
彼は、おびただしい数の思い煩いに心が占領されて、心に他のものを入れる余地もないほどの有様でした。
しかし、主の慰めが、事態を一変させました。
「わたしの胸が思い煩いに占められたとき、
あなたの慰めがわたしの魂の楽しみとなりました」