『神の言葉を蒔く』
「種を蒔く人は、神の言葉を蒔くのである。」
(マルコ4:14)
種をまく人は、三十倍、六十倍、百倍の実りを期待して、種をまきます。
まいた種が道端に落ちて、鳥に食べられてしまっても、いちいち気にすることはないでしょう。
あるいは、すぐに芽を出し、すぐに枯れても、それくらいのことで種まきをやめたりはしないでしょう。
あるいは、茨に覆いふさがれて実を結ぶに至らないなら、まずは茨を取り除こうとするかもしれません。
それもうまく行かないかもしれませんが、種まきをやめることはないでしょう。
種まきとは、そのようなものだからです。
種をまく人は皆、そのような経験をしながら、種をまき続けるのではないでしょうか。
確かに種のせいで実が結ばれないなら、どんな苦労や工夫もまったく無駄です。
しかし、種が本物なら、無駄に終わることはありません。
このたとえは、神の国について最も基本的なことを教えています。
キリストは弟子たちにこう言われました。
「このたとえが分からないのか。
では、どうしてほかのたとえが理解できるだろうか。
種を蒔く人は、神の言葉を蒔くのである。」
(マルコ4:13)
この種は、素性も知れずに試しにまいている種ではありません。
神の言葉です。