『神が人を通して語るとは』
「わたしを母の胎内にあるときから選び分け、
恵みによって召し出してくださった神」
(ガラテヤ1:15)
聖書において、多くの人々がいろいろな仕方で、いろいろな時代に語っています。
使徒パウロもまた、聖書において語っている人々の中の一人です。
およそ考えられる限り、彼はキリストの福音を語るはずのない人でした。
徹底的にキリストの教会を迫害し、滅ぼそうとしていた者だったからです。
しかし、そのような人がキリストの福音を伝えます。
神は、迫害者パウロの心を変えただけではありません。
それ以前から彼を選び分けておられました。
そして、迫害者となるに至ったパウロを、恵みによって召し出して使徒とされました。
そのようにして、まったくの無から彼を造り上げ、彼を通して語られました。
「わたしを母の胎内にあるときから選び分け、
恵みによって召し出してくださった神が
、御心のままに、御子をわたしに示して、
その福音を異邦人に告げ知らせるようにされた・・・」
(ガラテヤ1:15~16)
以上のことはパウロだけではなく、預言者と使徒のすべてに当てはまります。
聖書が神の言葉であるのは、神がそのように人を造り上げ、万事を働かせて語りたもうからです。
聖書において、私たちは人を通して語りたもう神に向き合っています。
彼らを「母の胎内にあるときから選び分け、恵みによって召し出してくださった神」です。