『何が来ようと』
「長生きし、喜びに満ちているときにも、
暗い日々も多くあろうことを忘れないように。
何が来ようとすべて空しい。」
(コヘレト11:8)
聖書が教えるのは、将来の不確かさです。
長生きし、喜びに満ちているときにも、将来は不確かなものです。
しかし、だからと言って、今日の働きが空しいとは教えません。
むしろ、反対です。
「風向きを気にすれば種は蒔けない。
雲行きを気にすれば刈り入れはできない。
・・・朝、種を蒔け、夜にも手を休めるな。
実を結ぶのはあれかこれか、
それとも両方なのか、
分からないのだから。」
(コヘレト11:4、6)
不確かな将来に心を動かされずに、自分の働きに励むことを教えます。
確かに、良い実りが得られることもあれば、得られないこともあるでしょう。
しかし、それでも、自分に託された務めに励み続けるよう教えます。
将来は不確実だけれども、限りなく確かな神がおられるからです。
そして、神が語られた言葉が確かだからです。
来ようとしている将来に望みを託しているなら、
「何が来ようとすべて空しい。」
しかし、神を信じ、神の祝福に望みをかけて励んでいるなら、何が来ようとも大丈夫です。
恐れ続けたり、心配し続けたりする必要はありません。
「人間を豊かにするのは主の祝福である。」
(箴言10:22)
将来の不確かさを忘れないようにして、ほんとうに確かな御方とその御言葉に望みをかけ続けるなら、
日々、私たちは大きな力を受けるのではないでしょうか。
「長生きし、喜びに満ちているときにも、
暗い日々も多くあろうことを忘れないように。
何が来ようとすべて空しい。」
しかし、神に望みをかけて、その御言葉に聞き従うなら、
「何が来ようと」
確かなを進んでいます。