『真の悔い改めから喜びへ』
「わたしは愛する者を皆、叱ったり、鍛えたりする。
だから、熱心に努めよ。
悔い改めよ。」
(黙示録3:19)
叱ったり、鍛えたりするのは、愛すればこそです。
神を知るとは、その愛を知ることです。
その愛を知って、いつも喜び、どんなことにも感謝し、
絶えず祈ろうとし始めるほどに、知ることです。
(第一テサロニケ5:16~18)
そして、いろいろな試練を「一時の軽い艱難」とするほどに知ることです。
(第一コリント4:17)
わたしたちをそのような者とするために、キリストはわたしたちのもとへおいでになりました。
キリストはわたしたちの魂の牧者であり監督者です。
(第一ペトロ2:25)
この御方をほんとうに知ることこそ、悔い改めです。
悔い改めにおいて、自分の行いを反省して改めることが第一のことではありません。
悔い改めは、キリストの言葉を聞いて、キリストを私たちの心と人生にお迎えすることです。
すぐに喜んで聞けるような言葉ではないかもしれません。
「わたしは愛する者を皆、叱ったり、鍛えたりする。」
しかし、その言葉を聞いて、心の戸を開けるなら、
「わたしは中に入ってその者と共に食事をし、彼もまた、わたしと共に食事をするであろう。」
(黙示録3:20)
魂の食事だから魂に力が与えられ、その渇きが癒されます。
キリストと共に食卓についているのだから、
キリストと親しく語り合い、その顔を見ます。
心の耳で聞き、心の目で見ます。
そして、愛する者を叱り、鍛えるキリストの愛をますます知っていきます。
それが悔い改めです。
「わたしは愛する者を皆、叱ったり、鍛えたりする。
だから、熱心に努めよ。
悔い改めよ。」