『命のパン』
「わたしは、天から降って来た生きたパンである。
このパンを食べるならば、その人は永遠に生きる。」
(ヨハネ6:51)
永遠に生きるとは、終わりなく長生きするということではありません。
どんなに日を重ねても、
それで良いと心から思える今日を生きることができないなら、
それはむなしいことではないでしょうか。
「たとえ、千年の長寿を二度繰り返したとしても、
幸福でなかったなら、何になろう。」
(コヘレト6:6)
キリストは、天から降って来た生きたパンです。
このパンを食べるならば、その人は永遠に生きます。
食べるとは、食べるようにキリストを知るということです。
腹をすかせた人が、パンを食べれば力が出ます。
喜びもあります。
キリストをそのように知る人は、これで良いのだと心から思える今日を生きます。
確かに時を重ねれば、いろいろなものが変わっていきます。
世の中が変わります。また、身近な人々や状況も変わります。
それだけではなく、自分自身も変わります。
しかし、キリストを食べるように信じて力を得る人は、
それらの変化の中でも、決してむなしさに呑み込まれてしまうことなく、生きます。
最後に人をむなしさの中に呑み込むであろう死さえも、
その人の今日の喜びと希望を奪うことはできません。
「死よ、お前の勝利はどこにあるのか。」
(第一コリント15:55)
キリストを食べるように知る人々は、永遠の命を生き始めた人々です。
いろいろなものが変わっていきますが、今日を生きる喜びと希望は失われません。
「わたしは、天から降って来た生きたパンである。
このパンを食べるならば、その人は永遠に生きる。」