『本物の信仰』
「今しばらくの間、いろいろな試練に悩まねばならないかもしれませんが、
あなたがたの信仰は、その試練によって本物と証明され、
火で精錬されながらも朽ちるほかない金よりはるかに尊くて、
イエス・キリストが現れるときには、称賛と光栄と誉れとをもたらすのです。」
(第一ペトロ1:6~7)
信仰の試練に悩むとき、わたしたちは自分の弱さや愚かさ、不確かさを知ります。
神を信じて「とこしえに揺らぐことはない」と言っていた人が、恐怖に陥ります。
(詩編30:7~8)
どこまでもキリストについて行くと言っていた使徒ペトロでさえ、三度、イエスを知らないと言い出します。
使徒パウロも恐れに取りつかれ、ひどい不安の中で悩みます。
(第一コリント2:3)
しかし、それでもキリストを信じて、従い続けます。
改めてこの信仰が自分から出てきたものではなく、
自分の決断や意志に基づくものでもないことが、はっきりしてきます。
自分から出たものなら、自分が行き詰まるところが、信仰の限界です。
この信仰を歩み続けることに、何の良いことがあろうかと思わずにはいられないでしょう。
しかし、ここで改めて知ります。
神を信じたなら、良い結果が生じるということを信じているのではありません。
神を知り、神を信じているのです。
キリストを知り、キリストを信じているのです。
そして、このように信じる信仰は、神が与えてくださった賜物です。
私が神をとらえたのではなく、神が私をとらえておられます。
いつまでも続く試練ではありません。
しかも、金を精錬するのに火が必要なように、信仰にも試練が必要です。
今しばらくの悩みは、本物の信仰を証明します。
試練の中でもなお、神を愛し、喜ぶからです。
(第一ペトロ1:8~9)
「今しばらくの間、いろいろな試練に悩まねばならないかもしれませんが、
あなたがたの信仰は、その試練によって本物と証明され、
火で精錬されながらも朽ちるほかない金よりはるかに尊くて、
イエス・キリストが現れるときには、称賛と光栄と誉れとをもたらすのです。」