『わたしの愛にとどまりなさい』
「わたしを離れては、あなたがたは何もできない・・・
わたしの愛にとどまりなさい。」
(ヨハネ15:5、9)
キリストの弟子たちは、この言葉を何度も思い起こしたのではないかと思います。
この言葉はとても了解することの難しい言葉だったでしょう。
だから、彼らは「自分たちのうちで誰が一番偉いか」と、議論し続けました。(ルカ9:46、22:24)
キリストを信じる信仰は、このような議論をまったく意味のないものにします。
また、そのような議論の源にある「人間の誇り」をとことん取り除きます。
キリストに従い続ける者たちは知りました。
確かに「キリストを離れては、自分たちは何もできない。」
しかし、キリストを離れなければ、何かができるとも知ったことでしょう。
何もできない者が、実を結ぶように何かを行います。
「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。
人がわたしにつながっており、
わたしもその人につながっていれば、
その人は豊かに実を結ぶ。」
(ヨハネ15:5)
実を結ばせるように、枝に注がれる養分は「キリスト・イエスにおいて示された神の愛」です。
この養分を受けて結ばれた実が、人から認められたり、ほめられたりするものかどうかはわかりません。
しかし、神はどれほどその実を喜んでくださることでしょうか。
「あなたがたが豊かに実を結び、わたしの弟子となるなら、
それによって、わたしの父は栄光をお受けになる。
父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛してきた。
わたしの愛にとどまりなさい。」
(ヨハネ15:8~9)