『憐れんでください』
「徴税人は遠くに立って、目を天に上げようともせず、胸を打ちながら言った。
『神様、罪人のわたしを憐れんでください。』」
(ルカ18:13)
神の御前で途方に暮れる人の祈りです。
徴税人ですから、財産もあり、仲間の間ではそれなりに認められることもあったでしょう。
しかし、神の御前に立って、この上ない貧しさに悩みました。
それは、ある意味で苦しいことです。祈りが喜びであるよりも苦しみとなったように見えます。
しかし、主イエスは、この徴税人について、こう言われます。
「義とされて、家に帰った」
今まで、その人が神に対して正しい者であったとは言えません。
それが「徴税人」という名に託された意味です。
しかし、そのとき、彼は遠くに立っていましたが、その心は今までにないほど神の近くにありました。
目を上げてはいませんでしたが、その心は神を仰いでいました。
胸を打ちながら祈る徴税人は、神に対して正しく向き合っていました。
神の憐れみに希望をかけています。それはどんなに嬉しく希望にあふれたことでしょうか。
徴税人は、神の憐れみを正しく求める人として、家に帰りました。
彼は、神の憐れみの中を歩み始めました。
「(徴税人は)義とされて家に帰った・・・
だれでも高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる。」
(18:14)