『キリストを離れては』
「わたしを離れては、あなたがたは何もできない」
(ヨハネ15:5)
ご自身に従う者たちに対する主イエスの御言葉です。
何か特別のことが「できない」のではなく、「何もできない」と言われました。
とてもわかりづらく、受け入れ難い言葉のように思われます。
しかし、祈る以外に何もできないように祈るときには、この言葉の意味を理解し始めるのではないでしょうか。
いろいろな試練がこの言葉の意味を教えます。
信仰を試されながら祈るとき、私たちはほんとうに自分の無力さを知らされます。
それなのに、何らかの解決が与えられると、その無力さを忘れるのも、私たちの実際の姿です。
イエス・キリストは私たちとは違います。
彼はご自分についてこう言われました。
「子は、父のなさることを見なければ、自分からは何事もできない。」
(ヨハネ5:19)
「わたしは自分では何もできない。」
(ヨハネ5:30)
どのようなときにも父なる神を離れては何もできない御方として、この世を歩み抜かれました。
もっとも完全な仕方で人間の無力さを知る御方でした。
どれほど深く絶えず祈られたかは、容易に想像できます。
「わたしを離れては、あなたがたは何もできない」。
キリストは、私たちの心をほんとうに祈れるところへと導いてくださいます。
キリストの心が絶えずおられたところです。
そのように祈りながら、父がなさることはなんでも、そのとおりになさいました。
(ヨハネ5:19)
私たちも、キリストを離れなければ、いろいろな試練の中で豊かに実を結びます。
(ヨハネ15:5)