『わたしの救い』
「わたしはなお、告白しよう、『御顔こそ、わたしの救い』と。」
(詩編42:6)
何がその人に起きているのかは、わかりません。
食べ物ものどを通らず、涙を飲み食いするように悩み苦しんでいます。
「昼も夜も、わたしの糧は涙ばかり。」
(42:4)
そして、とにかく神に救いを求めて祈っています。
求めているのは苦しみがうまく解決したり、無くなることではありません。
神の御顔を見せてください、と祈っています。
そして、神の御顔を見ることができたなら、それが「わたしの救い」だと告白します。
神を求めて生きるようにされた人々の祈りです。
神の御顔を仰がせていただけるなら、そこに今の苦しみや悩みを耐え抜かせる力があり、
しかも、喜びさえ伴います。神の御顔を親しく見させていただきながら歩むとき、彼らはこう言いました。
「死の陰の谷を行くときもわたしは災いを恐れない。
あなたがわたしと共にいてくださる。」
(詩編23:4)
また、最後の希望の中身も、神の御顔を仰ぐことです。
「わたしたちは、今は、鏡におぼろに映ったものを見ている。
だがそのときには、顔と顔とを合わせて見ることになる。」
(第一コリント13:12)
「死は勝利にのみ込まれた。
死よ、お前の勝利はどこにあるのか。」
(第一コリント15:54~55)