『自分を捨て』
「わたしについて来たい者は、自分を捨て、
・・・わたしに従いなさい。」
(マタイ16:24)
捨てようと思っても、捨てられないのが「自分」というものではないでしょうか。
主イエスは、何としても「自分を捨てよ」と求めておられるわけではありません。
キリストについて行きたいと心から思う人々に、求めています。
実際、自分を捨てても、ついて行きたいと思うほどにキリストを知るから、従って行きます。
そこには何の無理もなく、喜びがあります。
「わたしの主キリスト・イエスを知ることのあまりのすばらしさに、
今では他の一切を損失とみています。」
(フィリピ3:8)
また、キリストに導かれながら、捨てなければならない自分を知るから、自分を捨てます。
「わたしはなんと惨めな人間なのでしょう。
死に定められたこの体から、だれがわたしを救ってくれるでしょうか。」
(ローマ7:24)
自分を喜んで捨てるほどにキリストを知る人々は、
今日、キリストの救いにあずかりながら、こう言います。
「わたしたちの主イエス・キリストを通して神に感謝いたします。」
(ローマ7:25)
日々、喜びと感謝をもって自分を捨てるほどに、キリストを知ることが許されますように。
「わたしについて来たい者は、自分を捨て、
・・・わたしに従いなさい。」
(マタイ16:24)