『神との真実な交わり』
「このように、わたしたちは信仰によって義とされたのだから、
わたしたちの主イエス・キリストによって神との間に平和を得ており・・・」
(ローマ5:1)
ほんとうに人と人が真実な交わりを持とうと思ったなら、
うわべの正しさでは、その交わりを深めることはできません。
相手の正しさを信じ合うことが必要ではないでしょうか。
神との交わりにおいては、はるかにいっそうその通りです。
神は、人の心の小さな動きまでもご存じの御方です。
隠れたこともすべて見ておられます。
そのような御方との真実な交わりを保証する正しさが、誰にあるでしょうか。
しかし、福音は、こう宣言します。
「わたしたちは信仰によって義とされた・・・」
(ローマ5:1)
神は、信じる者を正しいと認めてくださいます。
私たちが心の底から正しく、正しい行いをするからではありません。
「信じる者」だからです。
何を信じるのでしょうか。
「イエスは、わたしたちの罪のために死に渡された」と信じます。
悲しい事実です。さらにもう一つの事実を信じます。
「わたしたちが義とされるために復活させられた」と信じます。
喜びと希望がここにあります。
(ローマ4:25)
からし種のような小さな信仰であっても、それを信じるなら、
「信じる者」です。
神と私たちとの交わりを妨げるものは、何もありません。
確かに、知識も理解も行動も、からし種のような小ささであり、頼りなさです、しかし、それは問題ではありません。
完全な交わりではありませんが、真実な交わりです。
私たちが本当に名実共に「義なる者」とされるときには、完全な交わりとなるでしょう。
そのような時に向かって、神は、限りない忍耐をもってすべてのことを成し遂げてくださいます。