『見ないのに愛し』
「あなたがたは、キリストを見たことがないのに愛し、・・・」
(第一ペトロ1:8)
確かに見たことはありません。
しかし、知らないわけではありません。
とはいえ、自分の信仰が試される中で、
わかっていたはずことが、いかに不確かなものであるかを思い知らされることもあろうと思います。
その中で繰り返し明らかにされるのは、もっとも基本的なことではないでしょうか。
「神は愛です」
(第一ヨハネ4:16)
人々は確かめたいと願いました。
「わたしたちが見てあなたを信じることができるように、
どんなしるしを行ってくださいますか。」
(ヨハネ6:30)
キリストご自身が答えです。
「わたしの父が天からのまことのパンをお与えになる。」
(ヨハネ6:32)
「わたしが命のパンである。
わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決して渇くことがない。」
(ヨハネ6:35)
魂の飢え渇きを知る人々は、ここで「わたし」と語っておられる御方を求めずにはいられません。
その飢え渇きをいやされるために、この御方のもとへと近づこうとせずにはいられません。
そのような魂をいやすしるしは、一つです。
「天からのまことのパン」は、十字架を通して与えられました。
また、復活を通して私たちに差し出されました。
そして、聖霊のお働きによって私たちのものとなり、その飢え渇きをいやします。
このことを少しでも味わうとき、キリストを愛さずにはいられません。
「あなたがたは、キリストを見たことがないのに愛し、・・・」