『どんなときにも』
神は愛ですから、神のなさることはすべて私たちにとって益です。
しかし、神のなさるすべてのことに納得して感謝できるほど、私たちは賢くもなければ、強くもありません。
しかし、感謝できず、喜べなくても、主に祈るしかないことを知るのも、信仰です。
「わたしをさいなむその御手を放してください。
御手に撃たれてわたしは衰え果てました。」
(11節)
ためらうこともなく、静まらない心を注ぎ出して祈っています。
しかし、乱暴に祈っているわけではありません。
主の御前で自分をよくわきまえようとしています。
「教えてください、主よ、
わたしの行く末を、
わたしの生涯はどれ程のものか、
いかにわたしがはかないものか、
悟るように。」
(5節)
そして、主を待ち望みます。
「何に望みをかけたらよいのでしょう。
わたしはあなたを待ち望みます。」
(8節)
そのようにしながら、心を注ぎ出して、救いを求めます。
「主よ、わたしの祈りを聞き、
助けを求める叫びに耳を傾けてください。
わたしの涙に沈黙していないでください。
わたしは御もとに身を寄せる者、先祖と同じ宿り人。
あなたの目をわたしからそらせ、
立ち直らせてください、
わたしが去り、失われる前に。」
(13~14節)