『どんなときにも』
「わたしの胸が思い煩いに占められたとき、
あなたの慰めがわたしの魂の楽しみとなりました」
(詩編94:19)
人からの助けは期待できませんでした。
「災いをもたらす者に対して、わたしのために立ち向かい、
悪を行う者に対して、わたしに代わって立つ人があるでしょうか。」
(16節)
しかし、主の助けが与えられたので、魂が沈み込んだままではありませんでした。
「主がわたしの助けとなってくださらなければ、
わたしの魂は沈黙の中に伏していたでしょう。」
(17節)
さらに、主の慈しみによって支えられたので、
とてもゆっくりとした歩みであったかもしれませんが、歩み続けました。
「『足がよろめく』とわたしが言ったとき、
主よ、あなたの慈しみが支えてくれました。」
(18節)
主の助けが、彼を立ち上がらせ、歩み続けさせます。
苦しみ以上に、彼に与えられる助けが確かなものだからです。
そして、主の慰めがその心を訪れました。
思い煩いに占領された心が一変しました。
「わたしの胸が思い煩いに占められたとき、
あなたの慰めがわたしの魂の楽しみとなりました。」