『力と愛と思慮分別の霊』
「神は、おくびょうの霊ではなく、
力と愛と思慮分別の霊をわたしたちにくださったのです。」
(第二テモテ1:7)
神はおくびょうの霊を与えてくださったのではありません。
おくびょうとは萎縮することです。
いろいろなことにおいて、勇気を失い、恐れや不安にとらわれてしまう姿です。
聖霊の恵みに信頼するとき、それらとはまったく違う思いへと導かれることを覚えたいと思います。
キリストは世とは違った仕方で、ご自身の平安を与えてくださいます。
(ヨハネ14:27)
おくびょうは、神から出てくるものではありません。
神は、聖霊を通して、キリストのうちに満ちあふれていたものを与えてくださいます。
それはどこまでも謙虚な力です。
人知を超えた愛です。
何も恐れずに忍耐強く一歩一歩進む思慮分別(自制)です。
最初から恐れもせず、臆することもないというわけではありません。
人としての弱さは逃れようもありません。
しかし、聖霊は、そのような人の弱さに寄り添うようにして、
力、愛、思慮分別(自制)へと導いてくださいます。
人の弱さに同情して、助けることができるキリストの霊です。
(ヘブライ4:14~16)
聖霊に満たされて歩むとき、
神が置いてくださった自分の場所が、
今までとは違った場所になり始めるのではないでしょうか。