『わたしは知っている』
「あなたに背いたことをわたしは知っています。」
(詩編51:5)
人を相手にして、自分のことを計っているのではありません。
「あなたに」、すなわち、神に背いたことを知っています。
神と共に生きる人だから、知ります。
自分の背きの数々に向き合うのは、まず悲しいことです。
これはダビデだけではありません。
目を覚まして、神と共に生きる人々の中に必ず生じる悲しみです。
「わたしたちがイエスから既に聞いていて、
あなたがたに伝える知らせとは、 神は光であり、
神には闇が全くないということです。
わたしたちが、神との交わりを持っていると言いながら、闇の中を歩むなら、
・・・自分に罪がないと言うなら、自らを欺いており、
真理はわたしたちの内にありません。」
(第一ヨハネ1:5~8)
しかし、神の御心に従って悲しむことは、それだけでは終わりません。
悲しむ人々は幸いです。必ず慰められます。
彼は自分の罪を知り、それを赦して救ってくださる神を改めて知りました。
「神よ、わたしを憐れんでください
・・・わたしの咎をことごとく洗い、罪から清めてください。」
(51:3~4)
彼の心は砕かれ、悔いる思いで満たされていますが、慰めはただ神にあることを知っています。
「打ち砕かれ悔いる心を、神よ、あなたは侮られません。」
(51:19)
ダビデは目を覚まして、祈りと慰めと喜びに満たされながら、
もう一度真実に神と共に生き始めました。