『気を落とさずに絶えず祈る』
「イエスは、気を落とさずに絶えず祈らなければならないことを
教えるために、弟子たちにたとえを話された。」
(ルカ18:1)
祈ったことが何でもすぐにその通りになるのなら、気落ちすることはありません。
絶えず祈ることにも何の苦労もありません。
むしろこれほど楽しいことはないでしょう。
主イエスは、弟子たちに「気を落とさずに絶えず祈らなければならないことを教えるために」
一つのたとえ話をされました。
一人のやもめが、どんなことにも気を落とさずに、裁判官に助けを求め続けました。
ついに裁判官はこう言い出します。
「自分は神など畏れないし、人を人とも思わない。
しかし、あのやもめは、うるさくてかなわないから、
彼女のために裁判をしてやろう。
さもないと、ひっきりなしにやって来て、
わたしをさんざんな目に遭わすにちがいない。」
(18:4~5)
このたとえは、こう続きます。
「まして神は、昼も夜も叫び求めている選ばれた人たちのために裁きを行わずに、
彼らをいつまでもほうっておかれることがあろうか。」
(18:7)
気を落としたら、絶えず祈ることなど考えられないでしょう。
そのとき、祈りは勢いを失い、実質的に大切なものではなくなります。
信仰が試されるとき、気を落とさずに絶えず祈らなければならないことを教える重要なたとえです。
あの最悪の裁判官さえ、求め続けることで、動き出しました。
「まして神は」、私たちの絶えざる祈りに答えてくださらないはずがあるでしょうか。