使徒信条(キリスト教信仰の要約)
2013年12月15日、2013年12月22日、2014年3月16日、2014年4月13日
われは、その独り子、われらの主、イエス・キリストを信ず。
主は、聖霊によりてやどり、処女マリヤより生まれ、
ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、
死にて葬られ、陰府にくだり、三日目に死人のうちよりよみがえり、
天にのぼり、全能の父なる神の右に座したまえり、
かしこより来たりて、生ける者と死ねる者とを審きたまわん。
われは、聖霊を信ず。聖なる公同の教会、聖徒の交わり、罪の赦し、
身体のよみがえり、永遠の生命を信ず。 アーメン
使徒信条(キリスト教信仰の要約)
2013年1月20日
われは、その独り子、われらの主、イエス・キリストを信ず。
主は、聖霊によりてやどり、処女マリヤより生まれ、
ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、
死にて葬られ、陰府にくだり、三日目に死人のうちよりよみがえり、
天にのぼり、全能の父なる神の右に座したまえり、
かしこより来たりて、生ける者と死ねる者とを審きたまわん。
われは、聖霊を信ず。聖なる公同の教会、聖徒の交わり、罪の赦し、
身体のよみがえり、永遠の生命を信ず。 アーメン
『教会の会議は何のため?』
次主日、わたしたちの教会では、会員総会があります。
わたしたちの教会の会議が、主の御心を求める会議であるよう祈ります。
1、主の御心はある。
主の御心は具体的にあります。そして、示されます。礼拝を重んじつつ、
「何が善いことで、神に喜ばれ、また完全なことであるかをわきまえ」ながら歩みを重ねることを通して示されます。(ローマ12:1-2)
2、教会の形態にふさわしく求めなければなりません。
わたしたちの教会は、牧師の決定に任せません。また、会衆の多数決にも導かれません。その理想を言うならば、その立場にも多数にも左右されず、主の御言葉に基づいた判断に近づこうと努力します。それが重要な決断であればあるほど、主の御心を確信して、教会全体が一致することを求めます。
3、議論が重要です。
求められている議論は、自分の考えによって人を説得するための巧みな議論ではありません。主の御心に近づくための議論です。それゆえ、素朴な疑問や反対意見が、思いがけない有効な展開をもたらすこともあるかもしれません。
「相談しなければ、どんな計画も挫折する。参議(議論に責任をもって参加する人々)が多ければ、実現する。」(箴言15:22)
議論を積み重ねて、意志の統一を計らずには、何事も力強く実行に踏み出すことはできません。
《宗教改革者たちの祈り》
ルター
「主よ、私たちがあなたのみもとに来て祈ることは、あなたの御心であり命令でもあります。それゆえ私たちは今、あなたの求めに応ずるために、みもとへ参ります。願わくは、強く私たちを悩ます私たちの罪をゆるし、これを取り去ってくださるように。祈りにおいてあなたのみもとに参りますとき、これらの罪が妨げとなりませぬように。アーメン。」
カルヴァン
「主なる天の父よ、あなたの中には、光と知恵とが満ち満ちています。願わくは、聖霊によって私たちの心を照らし、恵みによって敬虔と謙遜をもって、みことばを受けることができますように。敬虔と謙遜なくしては、一人としてあなたの真理を理解し得る者はありません。イエス・キリストのゆえに。アーメン。」
使徒信条とは何か。
使徒信条は、キリスト教信仰の内容を簡潔にあらわしています。
その全体は、三つの部分に分けることができます。
「われは・・・父なる神を信ず。」
「われは・・・イエス・キリストを信ず。」
「われは、聖霊を信ず。」
そして、その全体を一言で言うなら、
「われは・・・父、子、聖霊なる唯一の神を信ず」です。
人は、神をこの目で見ることはできませんが、聖書の御言葉を聞いて信じ、信仰によって神を仰ぎ見ます。なじみのない表現かもしれませんが、聖書の御言葉を聞いて、心の目によって見るのです。
語りかける神、そして、いくつかの御言葉
神は聖書を通して、人に語りかけておられます。神は語りかける神です。
「神は、かつて預言者たちによって、多くのかたちで、また多くのしかたで先祖に語られたが、この終わりの時代には、御子(イエス・キリスト)によってわたしたちに語られました。」(ヘブライ人への手紙1:1-2)
1、すべてのはじまり(創世記1章1節)
「初めに、神は天地を創造された。」
2、人のはじまり(創世記1章27節)
「神は御自分にかたどって人を創造された。」
3、すべての民族の歴史のはじまり(使徒言行録17章26節)
「神は、一人の人からすべての民族を造り出して、地上の至るところに住まわせ、季節を決め、彼らの居住地の境界をお決めになりました。」