『信仰によって見る』
「わたしたちは、今は、鏡におぼろに映ったものを見ている。
だがそのときには、顔と顔とを合わせて見ることになる。」
(第一コリント13:12)
神は愛です。
(第一ヨハネ4:16)
主の御言葉は正しく、御業はすべて真実です。
(詩編33:4)
神はわたしたちの避けどころであり、どんなときにも、必ずそこにいて助けてくださいます。
(詩編46:2)
私たちが見るべき神のご栄光を、聖書から確認しようとすれば、きりがありません。
しかし、そのすべてが「鏡におぼろに映ったものを見ている」かのようです。
それが信仰によって見るということです。
「おぼろに」であっても、「見る」と「見ない」では、大違いです。
たとえ、おぼろでも神のご栄光を見るからこそ、祈ることができます。
確かにおぼろなので、その信仰は試されます。
しかし、試されるからこそ、自分に何もないことを知ります。
そして、へりくだりを学び 、神にすべてを求めます。
そのような歩みには、あらゆる人知を超えた平安と喜びがあります。
さらに、そのようにしながら、神にすべての希望をおくことを学んでいきます。
「わたしたちは、今は、鏡におぼろに映ったものを見ている。
だがそのときには、顔と顔とを合わせて見ることになる。」