『なぜうなだれるのか』
「なぜうなだれるのか、わたしの魂よ、なぜ呻くのか。
神を待ち望め。」
(詩編42:6)
うなだれることは避けられません。
私たちは様々なことで、落胆したり、気持ちが沈んだりします。
しかし、神を知る人々は、そこに留まり続けず、「なぜ」と自分の魂に問いかけます。
神が共におられるのに、「なぜうなだれるのか」です。
確かにうなだれる以外に逃げ道のない状況のように思われるかもしれません。
しかし、神が共におられます。
だから、自分の魂に「なぜ」と問いかけます。
うなだれることは、罠に似ています。
それにとらえられたなら、力を奪われ、身動きがとれなくなるばかりです。
そのときに、「なぜ」と問うこと自体が、そこから脱け出す重要な一歩です。
その「なぜ」に、神が答えを与えてくださいます。
すぐには楽にならないかもしれません。
しかし、神は真実で正しい御方です。
神にできないことは何もありません。
キリスト・イエスにおいて示された愛は、永遠に変わりません。
だから、「わたしの魂よ・・・神を待ち望め。」
うなだれることも益です。
そのようにして神に目を注ぐとき、恵みを受けるのにふさわしい謙遜へと進むしかありません。
「なぜうなだれるのか、わたしの魂よ、なぜ呻くのか。
神を待ち望め。」