『幼子のように祈り・・・』
「父のふところにいる独り子である神」
(ヨハネ1:18)
キリストは、「父のふところにいる独り子である神」です。
神でありながら、
「自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。」
(フィリピ2:7)
そして、幼子のように祈りつつ歩み抜いて行かれました。
その御姿は、神に対しては幼子のようであり、人に対しては大人のようでした。
一般にも幼子から大人になるほどに、
頼ったり、
相談したりすることのできる相手がだんだん少なくなっていきます。
その意味で、大人になることは孤独です。
人の間にあって、キリストほど孤独な御方はいなかったのではないでしょうか。
「わたしは死ぬばかりに悲しい」
と言われたとき、誰もその御言葉の意味を理解できる者はいませんでした。
(マタイ26:38)
この孤独は、子供のときからでした。
ヨセフとマリヤも、少年イエスを理解することはできませんでした。
しかし、少年イエスはいつも神のふところにおられました。
(ルカ2:48~50)
そして、幼子のように祈ります。神のふところに身を寄せて祈ります。
ここに孤独はありません。
キリストの名によって世を歩む人々も幼子のように祈ります。