『弱い時にこそ強い』
「わたしは弱さ、侮辱、窮乏、迫害、
そして行き詰まりの状態 にあっても、
キリストのために満足しています。
なぜなら、
わたしは弱いときにこそ強いからです。」
(第二コリント12:10)
信じるものがある人々にとって、起きてくることや周りの状況がすべてではないでしょう。
それらに対して、結局その人々の信じるところに従って、対応していくことになります。
「弱さ・・・行き詰まり」の中で、気落ちすることは、まずは自然な反応です。
思い通りに行かない数々の事の中で、わたしたちは当然のように気落ちします。
また、恐れたり、心配したりし始めます。
あるいは、周りを見て、ねたんだり、うらやましく思ったり、
怒ったりし始めることさえあるかもしれません。
しかし、それがその人のすべての答えであるなら、ますますみじめになるのではないでしょうか。
「弱さ・・・行き詰まり」は、すぐには自分でどうにもならないことです。
だから、弱さを覚え、行き詰まってしまいます。
しかし、ただの信念ではなくて、信じる御方があるなら、祈ります。
そして、その御方に従っていきます。
それゆえ、キリストを信じるパウロは、気落ちしたままではなく、キリストに心を注ぎます。
そして、今は、受け止めるしかないものを受け止めて、「キリストのために満足しています」。
その中で、気落ちしたままではありません。
やがて恐れや心配、ねたみ、怒りとはまったく違ったものが生じてくるでしょう。
そして、ただの信念ではなく、キリストに導き強められながら、対応していくことになります。
「わたしは弱いときにこそ強いからです。」