『キリストに従う者の正しさ』
「律法学者たちとファリサイ派の人々、あなたたち偽善者は不幸だ。
・・・ 『もし先祖の時代に生きていても、
預言者の血を流す側にはつかなかったであろう』
などと言う。」
(マタイ23:29~30)
律法学者たちとファリサイ派の人々は、聖書を学べば学ぶほどに、
自分たちの「正しさ」を確認したり確信したりするように学んでいました。
だから、
「もし先祖の時代に生きていても、
預言者の血を流す側にはつかなかったであろう」
などと言いました。
預言者を迫害した人々、預言者を無視した人々、その迫害を傍観した人々。
預言者の血を流す側には、いろいろな人々がいました。
彼らの罪や足りなさを指摘するのは、ある意味で簡単なことです。
同様に、私たちが今、主イエスを十字架につけた人々の罪を指摘するのも簡単なことです。
難しいのは、自分が「律法学者たちとファリサイ派の人々」と同じ側にいる者、
あるいは同じ側にいた者だと知ることです。
まさしく、使徒パウロは、彼らの一員でした。
弟子たちは、彼らの「パン種によく注意しなさい」と厳しく警告されました。
(マタイ16:6)
私たちが主イエスを十字架につけた人々を見て、
「私だったら、彼らの側にはつかなかったであろう」
などと考え始めるなら、彼らと同じ思いをもって、神の御前に立っています。
私たちの正しさは、私たちの罪を赦して救いたもうキリストにあります。
この「正しさ」を確認し確信するように聖書を学んで参りましょう。