『わたしに聞き従えば』
「わたしに聞き従えば、良いものを食べることができる。
あなたたちの魂はその豊かさを楽しむであろう。」
(イザヤ55:2)
そうは言われても、聞き従えない自分の思いがあり、考えがあります。
「思い煩うな」と言われても思い煩い、
「恐れるな」と言われても恐れ、
「慌てるな」と言われても、慌てます。
反対に「喜べ」と言われても喜べず、
待ち望め」と言われても、
うなだれます。
私たちの現実は、簡単ではありません。
信仰は「主にすべてをゆだねて従う」道筋を示し続けますが、
その道を進む私たちの足どりは軽くありません。
改めて「わたしに聞き従えば」と教えられていることに気づきます。
「わたし」とは誰か。ここに光があります。
の数々に聞き従う前に、「わたしに聞き従え」という御方に目を注ぎます。
その御方にとにかく聞きます。
におられて、その御方のところまで来るように求めているわけではありません。
聞き従えない思いや考えを抱いたままでも、とにかくその御方に聞きます。
この御方に聞き従えば
「良いものを食べることができる。
あなたたちの魂はその豊かさを楽しむであろう」。
この約束を味わい尽くすことはなくても、
この御言葉の中に、
キリストを知る人々の日々があるのではないでしょうか。
「はっきり言っておく。
信じる者は永遠の命を得ている。
わたしは命のパンである。
・・これを食べる者は死なない。」
(ヨハネ6:48~50)