『来なさい、休ませてあげよう』
「疲れた者、重荷を負う者は、
だれでもわたしのもとに来なさい。
休ませてあげよう。」
(マタイ11:28)
「わたしのもとに来なさい」と、主は言われました。
実際、主イエスがこう言われたとき、その御言葉を聞いていた人々は主のそばにいました。
その意味では、すでに主のもとに来ています。
しかし、それでも「来なさい」と言われます。
もっとそばに「来なさい」です。
自分の心で、主の静かにささやく声を聞き分けるほどに「来なさい」です。
また、その意味は「来続けなさい」です。
すぐに楽になったり、解決が見えなくても、あくまで忍耐して、わたしの近くにますます
「来続けなさい」です。
しばしば、一番肝心なときに、そのようにすることは、簡単なことではありません。
その信仰は試され続けます。
だから、時には「主よ、いつまでなのでしょう」
と問いながら、主のもとへと近づき続けます。
(詩編6:4、13:3)
主はご自身のもとへ近づき続ける者に、「休ませてあげよう」と約束なさいます。
「楽にしてあげよう」ではありません。
いまだに重荷を負うたまま、疲れを抱えたままかもしれません。
しかし、その状態で「休ませてあげよう」です。
その中身は、主が共におられるということです。
今までは、一人で悩み疲れ、重荷を負って苦しんできたとしても、これからは主が共におられます。
わたしの悩みも、疲れも、重荷もすべて、主が一緒に引き受けてくださいます。
言い換えれば、それらはすべて主のものです。
自分しかないと思って、疲れた者、重荷を負っていた者が、
共におられる方をますます知って、魂のこの上なく深いところから休み始めます。
「疲れた者、重荷を負う者は、
だれでもわたしのもとに来なさい。
休ませてあげよう。」