『正しく主をおそれて』
「主を畏れることは知恵の初め。」
(箴言1:7)
キリストは、人の心の外に立っておられます。
「見よ、わたしは戸口に立って、たたいている。」
(黙示録3:20)
乱暴にではなく、静かに声をかけ続けてくださいます。(マタイ12:18~20)
主を正しくおそれる人が、そのような主を戸の外に立たせ続けておくことはできません。
戸を開けて中にお迎えし、恐れつつ喜んで聞き従うにちがいありません。
もし、それが主なる神ではなく、敬うべき人物でもそのようにするでしょう。
しかし、自分を振り返ってみると、必ずしも素直にそのように進んでいないことに気づかされます。
戸を閉ざしたまま、主の御声を聞き流しながら、一人で悩み続けています。
あるいは反対に、勝手に得意になっていることさえあります。
主は、誰にも考えられないほどにご自身を低くして、私たちの心に近づいてくださいました。
戸一枚のところまで、来てくださいました。
そして、限りない忍耐をもって、今日も声をかけ続けていてくださいます。
「時は満ち、神の国は近づいた。
悔い改めて福音を信じなさい。」
(マルコ1:15)
主を正しくおそれることを学び続けなければなりません。
足音を聞いただけで隠れてしまったアダムとエバのような恐れではなく、
心の戸を開けて、
主の御前に喜びつつひれ伏すおそれです。
「主を畏れることは知恵の初め。」